今回紹介する農人は株式会社日本農業インコーポレイテッド代表取締役内藤祥平さん。内藤さんは若干25歳という若さで日本の農作物を海外に輸出する事業を手がけている。そんな内藤さんが農業という産業に目を向けどんなことをしていくのかについてうかがった。
自転車で日本を横断して野菜の美味しさに気付く
内藤さんのご両親は新潟だそうで、お正月やお盆に祖父母の家に行ったときに畑や田んぼを見ることはあっても、内藤さん自身は横浜生まれ横浜育ちで農業に関係する生活を送ってきたわけではなかった。農業に関心を持ったのは高校生のときで、自転車で日本を横断した時に行く先々で地場の野菜や果物を食べ、その美味しさに気づき農業に関心を持つようになった。しかし、この時はまだなんとなく農業が好き、という程度であったという。
高校を卒業すると慶應義塾大学に進学し、そこで日本の生産法人や農家さんのところに手伝いに行ったり、インターンに参加したりするようになったとのこと。
「大学2年生の時から日本の農家さんのところに行くようになり、鹿児島で1ヶ月、茨城で2週間とか、いろいろな地域に行って畑のことや農業の現場を体験しました。」
更にはアメリカのイリノイ大学農学部に留学し、1年かけて農業経営について学んだ。そこでは周辺の大規模農家の跡取りが学びに来ていることが多く、その中で様々なケーススタディから農業経営についての知識、ノウハウ、考え方を習得していったという。
「今までなんとなく好きと思っていた農業ですが、国内の農家さんのところに行ったり、海外の大学に留学したりして農業経営を学ぶうちに農業の抱える課題に気づき、それをどうにか解決していきたいと思うようになりました。農業は絶対に大事な産業であるのにこれだけ窮地にいるのはおかしいな?と。」
内藤さんは学生時代の経験を経てなんとなく好きという感覚からますます農業にのめり込んでいく。
国内市場から海外市場へ
大学卒業後は世界的にも有名な戦略コンサル会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」に入社する。内藤さんはそこでも農業系のプロジェクトに関わりたいと申し出て、農業系団体に対して日本の農産業をどう強化していく?ということや生産法人に対してどこを強みとして売上を伸ばしていくか?ということについてクライアントに提案していった。
「案件に関わるうちに気づいたことがあって、先ず産業として成長していくには、大事なことは売り先を増やしていくことに尽きます。ただ、日本国内のパイは限られていますから海外に目を向けて販路を拡大する必要があります。」と内藤さんは話してくれた。
具体的にはこうだ。例えばリンゴを売っているAという団体、Bという団体がそれぞれ10億の売上を出していたとする。ここでAがプロモーションを強化して販売額を15億に伸ばした時、日本の消費者人口、そして消費量そのものが増えるわけではないのでBが5億と売上を落とす、いわばゼロサムゲームのようなもの。Aという団体だけを見たときにはそれで良いが、日本全体の農業を考えたときにはやはり海外という市場を見据えて、Aも15億、Bも15億となるような施策が必要になるということである。
そこから内藤さんは「日本の農業を強く、農家を豊かに。」というミッションを掲げて1年半勤めたマッキンゼー・アンド・カンパニーを辞め株式会社日本農業インコーポレイテッドを起ち上げた。
リュックにリンゴを詰めて海外を歩く
最初はカバンにリンゴをいっぱい詰めて、インドネシアでスーパーとか小売店に営業をするところからスタートしたという。
「特につてがあったわけではないですし、現地のルールも全く知らなかったです。先ずはリンゴを知ってもらうというところからのスタートで、話は比較的聞いてくれてその話おもしろいねと言ってくれるのですがその先なかなか話が進まず苦労しました。また貿易も今までやったこともないですが、やっていくうちに知識不足が露呈してしまい失敗することもありました。」と内藤さんは創業時の苦労した話を聞かせてくれた。貿易開始当初、輸出したリンゴが黒く変色してしまい売り物にならないということもあったという。そのようなトラブルを1つずつ潰しながら解決しノウハウを蓄積していったという。
小玉のリンゴを作ることは恥ずかしいことではない
現在輸出しているリンゴは青森と長野のリンゴを輸出している。青森にはメンバーが1人常駐しており、現地で農家さんとコミュニケーションを取りながら仕入れをしているという。
「我々は販売先のインドネシアやタイに足を運び、売り場を見たりバイヤーさんと話をしたりしています。そうすると現地のニーズがよくわかります。例えば日本ではフジとか赤く大きな玉のリンゴが好まれますが、これら国では小玉の王林やトキのような黄色い玉のリンゴが好まれるんです。」と内藤さんは教えてくれた。
その現地で得たニーズを現地の農家さんにもフィードバックしているという。先ずはそういった情報を農家さんにシェアし海外のことを知ってもらうということも積極的にしている。
「海外では小玉が売れるので来年は小玉を多く作ってください!とお願いしたらすぐに、うんとは言ってくれないんですよね。なぜなら日本では大きなリンゴのほうが価値がありますし、どれだけ大きなリンゴを作れるかということが農家の腕の見せどころで小さなリンゴを作ることは恥だと思われているみたいです。」と内藤さん。日本では1つ1つのリンゴの玉を大きくするために摘果などを行い、そこが農家の腕の見せ所となる。そのため、小さなリンゴを作ってくれと言うことは技術的にできないことではないが、プライド的にできないことである。
しかし、内藤さんとスタッフメンバーは農家さんのとこえろに通い、海外で販売されている写真とかを見せ説明し、契約栽培として全量買取して農家さんのリスクを無くすなど二人三脚で事業をやっているという。
日本の農業のレベルは高い
「個人的に日本の農業のレベルは高いと思っています」と内藤さんは話してくれた。日本では各農家が固定種の種を栽培したり、新しい品種を作り出したりと個人レベルで研究開発を行っている。これは海外から見たら結構凄いことで、本来は種苗会社が多額の研究費をだして新品種を開発するが、日本ではそれが個人のレベルで行われている。そこが世界から見てレベルが高いと思う部分だという。
ただし、レベルが高いからといって全ての農作物が海外で高く売れるわけではないという。
「マーケットで受け入れられるかどうかは質と価格で決まると思っています。質を数字化するのは難しいですが、例えば質が日本のものが2倍良いとして、価格差が10倍もあったらなかから売れないんですよ。質が2倍なら価格は2〜4倍とかバランスがあります。そして、その価格には輸送費とかマージンとかも入っていますから、農家さんから買い取る金額は通常の何倍もの値段で買い取ることは実質難しいということです。」と内藤さんは話してくれた。
実際、海外向けの小玉リンゴは日本での買取金額よりそこまで高くないという。利益率で言えば小玉のほうが低くなるが、海外というマーケットが存在することから量をさばけるため利益で言えば小玉が上回るという。このように内藤さんは実際に海外の市場で情報を仕入れ、海外のニーズをしっかりと掴み、それにあった生産物を用意することで、最終的に農家さんに還元が出来ている仕組みとなっている。
今後
最後に今後について色々とうかがった。
「農業×ITのように農業×〇〇ということはたくさんありますが、その中でも海外に販路を広げ日本の農業が強くなるために先ずは農業×輸出という部分を極めていきます。農業×儲かるという話ですといくらでも方法はあるのかもしれませんが、それが我々のミッションに合っているかどうかが最も大事なところで、そこを常に意識しています。」と内藤さんは話してくれた。
今後はリンゴやシャインマスカットだけでなく、他の生産物や他の地域なども見据えて展開していくという。
「今、日本の農業は転換期だと思います。TPPの話もそうですし、農家の数もどんどん減っている。その中で人が最も悲しいのは耕作放棄地が増えることです。去年までリンゴがなっていたのに、農家さんが引退して翌年はリンゴがありませんというのは悲しいし勿体無い。我々はこの過渡期だからこそ農業に目を向けやっていきたいと思っています。」と話す内藤さんの目は力強かった。
編集部後書き
海外で日本の農作物が高く売れる。これは伝説的な話であって、実際は海外の市場で受け入れられるものをしっかり生産することで、初めて海外という販路が開ける。そんな橋渡し的な役割をしているのが内藤さんである。今後過渡期を迎える農業。その中でどんな戦略を打ち立てるのか?国内だけなく海外という市場の見据えた時にその可能性はますます広がっていくのかもしれない。
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